2015年08月02日

歴史人物絵画8 大神信房と北畠顕家の望み




この記事は、2015年6月14日のアメブロの記事からの転載である。
螢源氏の言霊『大神信房と北畠顕家の望み




6月10日は大神信房と北畠顕家の命日であった。



それに合わせて、


三輪より先を望む北畠顕家と大神信房』という絵を描いた。
三輪より先を望む北畠顕家と大神信房.jpg


左の甲冑武者が北畠顕家。右の帯刀の神官が大神信房。36色の色鉛筆をかなり濃いめに使用した。これまでの人物画に加え、私にとっては久々となる風景画でもある。





二人の英雄の死
顕家と信房.png



前にも彼らの絵は描いてあった。


今から677年前の建武5年5月22日。西暦でいうと1338年6月10日。ちょうど梅雨時である。


南北朝時代、随一のカリスマである北畠顕家は、石津の戦いで戦死した。大神神社の神官であり謎の武将の大神信房は阿倍野で戦死している。2人とも同じ日に大阪で死んだ。


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1.設定



@物語のワンシーン
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今回の絵が前とは違うのは、場面を切り取った風景画に2人が共にいることである。イメージでは、映画のワンシーンか紙芝居の1枚のような感じ。

信房が顕家を大神神社の見晴らしの良い場所に案内して、共に進軍ルートを話し合い、2人だけの軍議をしているシーン。これからこの先の山を越えて、敵を倒すべく大阪に進軍する決意を固めている。


想像では、顕家「あの山を越えれば河内か」、信房「川沿いに渡れば進軍しやすい」みたいな(笑)




A大神記ストーリー
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絵を物語の序章とするならば、こうなるだろう。

「南北朝時代の昔、奥州の鎮守府大将軍・北畠顕家は、京都を奪った逆賊・足利尊氏を討つため、後醍醐天皇の命により騎馬隊を率いて西へ大進撃をしました。

し かし、大和国の般若坂の戦いで負けてしまい、日本最古の神社として名高い三輪の大神神社に助けを求めました。ここでは大神一族が拠点としており、同じく南 朝側であった顕家を歓迎しました。大神神社は北朝側である興福寺に表向きは従っていたので、今回の加勢は極秘のうちに進められました。


顕 家は5年前に父と大神神社に訪れており、神主の次男である大神信房と顕家は幼馴染のような関係でした。京都へ向かう足がかりとして、顕家は摂津国の四天王 寺を抑えるべく進軍することを決めました。大神神社にとっても四天王寺は大事な聖地です。信房は顕家に付き従うことを決めました。

顕家と信房は見晴らしの良い丘に登り、これから進む先を眺めながら今後の展望を語り合いました。2人はここから見える山を越えることになります。」




B設定の根拠
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信房は顕家の軍師として従軍したのだろう。当時の軍師といえば、従軍する占い師や祈祷師のことを指していたが、信房はそれだけではなく軍学の知識もあり、戦術家でもあったという設定。


この時期、北畠顕家は京都の足利幕府を倒すために、東北から大進撃をして近畿までやってきた。その進軍の道中、実際に奈良の般若坂というところで、顕家は初めの敗戦を経験した。


な ので、援軍や加勢を求めて、同じく南朝側の大神神社に立ち寄ったに違いないと私は考えている。そこで信房が顕家に従って共に戦いにいったとするならば、一 人の神官が武将として大阪の阿倍野で戦死した理由に矛盾がない。両者とも南朝側であり、信房の子孫は代々、北畠氏に仕えている。


これらの研究は、このブログの大神記シリーズ で連載している。このように私は一連の考察を『大神記』(おおみわき)という物語にまとめたい。ゆくゆくは信房と顕家の物語の絵をかき進めていき、このブログでの連載の挿絵にしたい。そして小説化した後には映画化である(笑)






2.風景画



@写実リアリティー主義
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今年の2月19日と20日、私は奈良県桜井市の大神神社に実際に訪れた。そして、展望台に訪れて絶景を見てからは、今回の絵の構想が一瞬にして思い浮かんだ。本殿からは割と遠くに歩くと、「大美和の杜展望台」という高台がある。そこである。


きっと信房と顕家は、ここから景色を眺めながら軍議をしただろうな〜と想像(妄想?)した。

リアリティー追求のため、実際に私が撮影した(撮影者は父だが)写真を元にして絵を描いた。南北朝時代の三輪周辺と奈良盆地を想像しながらも、実際の風景を参考としている。私が立っているのは実際の人物のスケール感を再現するため。

すなわち、この絵は相当な計算をして描かれているのだ。私のこれまでの作品とは、ちょっと一味違う。あくまで写実的でありたい。

大和からの風景.jpg


彼 らは大阪方面を望み、金剛山や葛城山の手前の奈良盆地には、畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)がそびえ立っている。実際に私がいった時もこの ように後光が山を照らしており、とても神々しかった。さすが古来より神威を発揮する大神神社から眺める景色は別格だなと思った。

やはり実 際の景色なのでテキトーには描きたくない。地元民からしてみれば、形だけで山がわかる。三輪周囲や奈良盆地の風景は全くの想像である。参考にできそうな資 料はないし、とりあえず現在の風景から南北朝時代の風景を想像してみた。広大な田舎って感じ(笑)だが、彼らが進軍するであろう部隊としては、最適なス テージである。


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現 代でこそ展望台として整備されているが、おそらく南北朝時代も大和を監視するために、このように展望台があっただろう。昔から高台は軍事拠点として有効と されており、物見櫓的に見下ろせるようになっていただろう。南北朝時代の大神神社は、城攻めなどの合戦こそなかったものの城郭としての機能もあったらし い。


顕家軍が大神神社に立ち寄ったと推定されるのが、3月20日。般若坂での敗戦の直後に立ち寄ったと考えられる。その甲斐あってか、顕家軍は息を吹き返したかのように次の四天王寺の戦いでは、勝利を収めている。きっと軍師・信房ら大神勢や大和の豪族の加勢のおかげだろう。

実はこれが、私が大神神社に行ったのと同じ日なのだ。全くの偶然であるが、絵を描く上での季節感も忠実に再現できていることに一役買ってくれている。信房と顕家もこのような冬の大和の景色をみていたのだろう。風が冷たかった。






3.人物画


@一枚ですべてを物語る絵を
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親しいが互いに離れた関係でもあることは、絵の二人の立ち位置と距離を見ればわかる。互いにある程度の距離感を保つことが、相手を尊重することになるのだろう。

されど、護衛もつけずに2人きりで話しているのは、やはり互いに信頼し合っている証拠であろう。他の従者を描くのが面倒くさかっただけだが(笑)



解説しないとわからないような、私の頭の中で考えただけの妄想のような裏設定ばかりだが、ある程度なら絵を見る人にも世界観や雰囲気や設定が伝わっているだろう。一枚の絵が、すべてを物語っているように描きたい。





A二人の信頼関係
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信 房と顕家の関係は幼馴染のダチという感じだっただろう。私の妄想にすぎないが。一応は信房が顕家に仕えている主従関係だが、上下関係を超えた信頼関係が彼 らにはあったのだろう。実際に、この絵の5年前に顕家は大神神社に訪れたという記録が残っている。信房の年齢は不明だが、顕家は14歳のときだったので幼 馴染のような感じだろうか。


信房はタメ口で顕家に語りかけて、顕家もそれを許していたことだろう。顕家は公家ではあるが上下関係や礼節にはこだわらない性格という設定。でないと公家でありながら、あそこまで東北の武士の支持を得ることはできなかっただろう。



顕 家は当時20歳、つまり私と同い年だが、今でいうと防衛大臣のような役職についていた。すなわち、とっても偉い人なのだ。一方、信房は一神官ではあるが、 大神神社は当時の宗教勢力、神道界ではトップクラスの権威があった。大神の神威は凄まじく、神主の息子である信房はかなりの坊っちゃんだったかもしれな い。やはり、上級貴族である顕家のほうが偉いが、信仰を集める大神神社の御曹司としての信房の威厳もなかなかであっただろう。



信 房の生年は全く不明である。この絵の時代である1338年には10代だったかもしれないし、中年だったかもしれない。しかし、私は青年のイメージで描い た。年齢的には27歳ぐらいである。信房のほうが年上の兄貴的存在という設定なので、やはり互いに友人のような関係で信房は顕家にタメ口で話していたほう が、物語として面白いかもしれない。実際に2人は武将として北朝に立ち向かった戦友である。





B主人公・信房
神二郎バック.jpg

名前:大神信房
通称:神二郎
職業:神官・武将・軍師
年齢設定:27歳
趣味:兵書読み


信房の表情を見つめてほしい。真剣な表情ながらも微笑んで顕家を見つめている。大将軍であり主君の顕家を仰ぐように見つめながらも、どこか年下の弟や友人のような感覚で顕家を見守っている。

信 房はマイナーな人物だけに、インパクトを持たせるだけにやはりイケメンに描いてある(笑)私の全精力を使い、横顔イケメンを描いた(笑)横髪ありのポニー テールという現代の女子のような髪型だが、信房の神秘性を表現するには時代考証的にもこれがスレスレの現代アレンジとしては許されるだろう。


信房アイコン.png

身長は175cmの設定。当時としてはかなりデカいが、主人公としてキャラが立つためにはこれぐらいのインパクトがいる。


人物像としては、神官ではあるが軍オタという設定。兵法書を読み漁り、軍学を習得して戦術家として軍師になり顕家に採用されたという感じ。きっと武将に憧れていたので、顕家に従軍したのだろう。そして初めての戦場の悲惨さを知ることになる。


大神信房3.png


前の信房の絵は軍装した状態だったが、今回は普段着。前の髪型はよくわからない耳かけのストレートだったが、今回はポニーテール。割と普通になった(笑)





C若々しい重鎮・顕家
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名前:北畠顕家
通称:陸奥守
職業:公家・武将・鎮守府大将軍
年齢:20歳
趣味:勉強?


顕家はひたすら先を見据えている。常にそうやって生きてきたのだろう。東北から掛けてきたのも、京都の足利尊氏を倒すためという一つの理由に基づいている。

そして、信房の案内を受けてこの展望台までやってきて、軍師であり兄貴的存在である信房のアドバイスに耳を傾けならがら進軍ルートを考えている。そんな少年としての素直さも顕家はある。


顕家アイコン.png


顕家は天才的で老練な人物とはいえ、やはり20歳の若者。私と同い年である。幼さまではいかないが、若々しさを感じ、貴公子らしいスマートな後ろ姿に仕上げてある。堂々とした姿だ。

顕家も信房のほうを向いていたら気持ち悪いので、遠く山の向こうの大阪を眺めているという設定で、顔は見えないが後ろ姿にした(笑)


髪型は普通といえば普通だが、スッキリとした冠下の髻(かんかのもとどり)という、男性貴族の髪型。


身長は163cmの設定。当時としては普通かちょっと大きいぐらいの背丈である。信房との身長差を設けることにより、年齢を表現している。顕家のほうがデカかったら、甲冑の厚みもあるし、ただの偉丈夫になってしまう。


軍神・北畠顕家.png


前の顕家の絵は軽装だったが、今回は完全武装。前は軍事演習中なので軽装の胴丸という設定だったが、今回は兜こそつけてはいないもの重装備の大鎧という、合戦の後の装いである。





4.装束画

@時代考証と創作のバランス

私はあくまでも時代考証遵守派である。これもリアリズム追及の一環だ。しかし、創作物や芸術としての面白さとのバランスをとるためにも、ある程度のファンタジックさもとりいれている。それが信房や顕家の風貌などである。あまり当時にはなさそうな現代風の顔つきをしている。

甲 冑一つにしてもできるだけ正確に描きたい。非常に面倒くさいが(笑)甲冑を正確に描くことは、その通にとっては、ガンダムマニアが正確にモビルスーツのプ ラモデルを作るぐらい重要である。私は甲冑の通ではないが、最近は少し勉強をして時代ごとのタイプなどがわかってきた。


やはり、 その時代に存在した物だけを描きたい。オーパーツが絵にあってはならないのだ。時代考証にはあまり詳しくはないが、私の知識の範囲内でその時代にふさわし いものも描く。明らかにその時代のスタンダードではないものも描いたりするが、100%ありえないことはない。というギリギリのバランスを保っているもの もある。

それに、フォロワーさんには甲冑や軍装に詳しく、上手に絵を描く人が何気に多い。色々と勉強になっている。なので、私が軍装を描くときもそれなりの配慮が必要なのである(笑)




Aミステリアスな神官
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狩衣(かりぎぬ):葵色(あおいいろ)
文様:竜胆唐草(りんどうからくさ)の浮織物(うきおりもの)
単(ひとえ):紅緋色(べにひいろ)
太刀:毛抜形(けぬきがた)



紫色の意味
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信房は普段着である狩衣(かりぎぬ)を着ている。神官の服装は簡素すぎて面白くないので、普段着である狩衣を着た信房という設定である。

色は紫である。細かく伝統的な和色に分類すると、どうやら葵色(あおいいろ)になるらしい。色鉛筆で適当に赤紫と青紫を足しただけだが、そういう設定にしておこう。ミステリアスな信房を表すには紫という色が最適だった。

それと紫であるほか理由は、北斗の拳のシンの服の色と、仮面ライダーオーズのプトティラという形態の色だからである。

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参照
アストロ祠の庭の主の正体とは!?|アストロ総裁のコズミック本部☆
プトティラと信房と三匹の龍☆|アストロ総裁のコズミック本部☆



まず北斗の拳のシンは、信房のモデルである。信房の性格はあんなに悪くはないが、南朝の神二郎、南斗聖拳のシンなのでピッタリだ。南北朝時代はリアル北斗の拳みたいな時代である。

昔、信房の髪型をパッツンに描こうと思ったが、それはあまりに時代考証的にありえないのでやめた(笑)



そ して、仮面ライダーオーズのプトティラ。オーズはOOOと表記する。三つの輪で三輪、信房のいる大三輪(大神)神社とシンクロする。そして、信房は阿倍野 の石宮龍王という祠に眠っている。プトティラは恐竜をモチーフとした最強形態である。龍王=恐竜?なので、信房=プトティラということになっている。

それに、風水の一派の考えによると、南に紫がラッキーカラーらしい。南朝、南都の信房にはピッタリのカラーコーディネートである。



文様とインナー
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狩 衣の柄は、竜胆唐草(りんどうからくさ)の浮織物(うきおりもの)の文様。のつもり(笑)本当はもっと複雑な柄だが、描くのが嫌になった(笑)普通に丸さ え描けばそれっぽくなりそうな簡単な模様を選んだ。下着である単は、紫とのカラーバランスを考えて濃いオレンジ色である紅緋色(べにひいろ)。よくある色 である。



霊力と武力を表す太刀
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なぜ神官なのに太刀を持っているのかというと、信房は武将でもあるからだ。実際、この時代は神主などの神職が権威を表すために帯刀することもよくあったという。

毛 抜形(けぬきがた)の太刀という、鎌倉時代中期の割と古いタイプの太刀である。なぜ古い太刀なのかというと、霊力の宿る神器であることを現すためだ。武器 としての実用性を求めるならば、最新式の太刀を選ぶ。つまり、信房にとって太刀は、武将である身分証明と同時に、大神神社の神威を表す象徴であるのだ。



そして、顕家もそうだが、烏帽子が少し透けているのもミソである。実際に烏帽子は透けているし、髪型や向こう側の景色が見えることで重苦しさを防ぐと同時に、奥行きを持たせる効果がある。




B由緒正しき総大将
顕家装束.jpg

甲冑:大鎧(おおよろい)
大袖(おおそで):6段
縅(おどし):黄櫨匂(はじにおい)
絵韋(えがわ):牡丹唐獅子(ぼたんからじし)
直垂(ひたたれ):萌葱色(もえぎいろ)
烏帽子:引立烏帽子(ひきたてえぼし)



甲冑の複雑さ
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次に顕家の軍装。まず甲冑は総大将らしい大鎧(おおよろい)。全て伝統的で由緒正しい装い。全ては先例なき道を生きていた顕家だが、さすがは有職故実を重んじる公家である。これを描くのが非常にめんどい(笑)

しかも背中から見た後ろ姿なので、総角、懸緒、水呑緒などのややこしく結んであるヒモなどは非常に複雑である。初挑戦ばかりである。


肩 のプロテクターである大袖(おおそで)なんかは書き慣れているが、やはりめんどくさい。だが、彩色が豊かなのでそれなりに面白い。この時代の大袖は7段の ものが多いが、少し古い様式ではあるがこの絵は6段である。同時代の武将の肖像画でも6段のものも見れられるので、時代考証的にはセーフである。7段も描 くのがめんどくさい(笑)



カラーバリエーション
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甲冑の柄、つまり縅(おどし)は、白→黄色→オレンジ→赤のグラデーションが綺麗な、黄櫨匂(はじにおい)というタイプである。縅にもいろいろ種類があるが、私が好きなカラーバリエーションを選んだ。やはり、この彩色が綺麗である。

大袖のトップ(冠の板)などにある絵柄は、絵韋(えがわ)という。ここの柄はもっとも色鉛筆で描きやすそうな、牡丹唐獅子(ぼたんからじし)にした。点々をひたすら描けばそれっぽくなるからである(笑)



若さを表す緑
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甲冑の中に着ている服の直垂(ひたたれ)のカラーは緑。昔の和色名でいえば、萌葱色(もえぎいろ)。緑というのはやはり顕家の若々しさを表している。昔から、萌葱色は若さを表していた。

本当はもう少し青みがかった、エメラルドグリーンのような彩色にするつもりだったが、こうなった。まあいいか。若さを表すグリーンだが、深緑でもある。これは顕家の年齢にはそぐわない、精神的な成熟さや、教養・思慮深さを表している。ということにしておこう。



日本の甲冑の芸術性
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烏帽子は、引立烏帽子という最もノーマルな合戦での被り物。主に兜を被らない時に着用するものだが、さすがに兜まで描くのは大変だった(笑)それに兜があれば、顕家の横顔すら見えないだろう。

し ても大鎧は最も格式の高い甲冑とされているが、本当に軍装なのだろうか。複雑な模様や構造。ほとんど芸術品を着飾って戦場に出るものだ(笑)確かに、大鎧 は強そうでカッコ良いが。シンプルな西洋の甲冑からすれば信じられないほどに、派手で複雑だが、昔の日本人は戦場を華のステージとしてとらえていたのだろ うか。ファッション的な側面も大きいだろう。描く側からすれば非常に迷惑な話である(笑)だが、それが面白い。





5.総括



@大雑把かつ丁寧に
三輪より先を望む北畠顕家と大神信房.jpg


細かく見えて以外と大まかに描かれたこの絵だが、私の性格を反映しているとも言える。私は几帳面に見られることが多いが、本当はかなり大雑把である。実はそこまで細くないのだ。O型である性格上、丁寧に見えて雑である。


強いて言うならば、人物は細かく丁寧に、風景は大雑把にだろうか。私にとって久々の風景画となったが、やはり自然を描くのは面白い。風景画ならある程度のアバウトさなら許されるし、空なんかはアバウトに描いた方が幻想的に見える。

しかしやはり、和装を描くのは面白い。最近、昔の人の絵ばっかり描いてるし、日本の風景を描くのも面白い。要は和が好きなのだろう(笑)和風ではなく、"和"である。




A絵を描いて彼らと会った

2 人とも昨年から私がずっと追っている人物である。最近は日常生活がおぼつかない程に、ずっと彼らのことを考えている。2人とも私の先祖に倒された人物であ る。慰霊の気持ちというより、憧れに近い感覚で彼らの残像を追っている。特に信房のことを追及している。かなりマイナーでほとんど歴史に残っていないよう な彼の真実が知りたい。

マイナーでミステリアスなものに惹かれる私の性格を揺さぶる。薄霧をつかむような話だが、きっと彼らの存在を解き 明かせば、私の先祖のこともわかるはずである。すなわちそれは自分自身を識ることである。私の先祖は顕家と信房を討ち取った功績で、大出世を果たした。彼 らには謝罪の念というか、感謝の念である。私自身に贖罪の感覚は全くない。むしろ彼らは友達のような感覚だ。会ったことはないが。


過去の人間という気がしないのだ。できるならば彼らに会いたい。いや、このように絵を描くことで彼らと会えたのかもしれない。彼らの命日に捧ぐ絵である。





B逃れられぬ戦い

正 直、信房のような本当に実在し方もわからない人物(ちゃんと記録に残ってはいる)を追い求めるのは、幽霊を追っているようで、変なことかもしれない。彼は 既に死人であることには間違いない。正直、こんなに研究に没頭してしまうのは辛い。だが、この苦しみにも似た喜びから解放されるには、ひたすら解き明かす ことしか道はないのだろう。

本当にミステリアスな存在を追うのは楽しい。私の性である。使命感は全くない。ゲーム感覚で顕家や信房を追っ ている。きっと私には天から彼らを探るのが使命として与えられており、自分に流れる血からしても逃れられない宿命なのだろう。逃れられぬ運命に従い戦う。 きっと顕家や信房もそんな心境だったのだろう。私と同じかもしれない。彼らを解明することが私の戦いである。私はニヤニヤしながら戦う(笑)


 
posted by 細川大将軍 at 12:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日

歴史人物絵画7 よみがえった偉人と鬼の復活




今回取り上げるのは、超マイナーな偉人と超メジャーな偉人。
いずれにしても、現在はいない人物の姿を絵に描いて来たのが、
このシリーズの醍醐味なのだが、それは彼らを復活させることでもある。
現代に蘇ったぐらいの生々しさがないと意味が無いし、
自分の想像と創造を張り巡らせて、偉人たちが復活してもらえると面白い。





㉛大神神二郎信房(おおみわ しんじろう のぶふさ)
大神信房.JPG

年齢設定:未設定(不明)
時代:鎌倉時代末期〜南北朝時代
属性:大神神社の神官、南朝側の武将
用具:シャーペン
完成:2014年9月13日
モデル:シン(北斗の拳)



北朝・室町幕府に立ち向かった超マイナー武将
三本杉.png


大神(神二郎)信房。この人物は超マイナーな人物である。
おそらく殆どの人は知らないが、そんな人物だからこそ描き甲斐がある。
あの花将軍・北畠顕家に仕えていたとみられる武将である。
私と総裁にとってはとても縁のある人物である。
詳しくというか、概要もアメブロの記事を参照して頂きたい。





名前が似ているのと、どちらも南にゆかりがある人物である。
なので、北斗の拳の南斗六聖拳の一人であるシンがモデル。
神二郎信房は、南北朝時代における南朝側の武将。



正直、殴り描き(笑)
写真 1.JPG


絵自体は非常にテキトーに描いた。
それも友人としながら描いたという無礼な作品である(笑)
狩衣に烏帽子と言う神官らしい格好をしているが、
垂髪のイケメンという創作的な要素も強い。

シンと同様に掘りが深いので、日本人離れしてしまっているが、
本作は時代考証よりもファンタジックさを優先させている。
マイナーな人物だけに、それ以上のインパクトが必要だからである。


シャーペンで描いた原画をiPhoneで撮影して、エフェクトで色を変えて、
彼の名と「阿倍野の地に眠る南朝の神将」というアプリでキャッチ文を加えた。
神将とは神懸かった武将というより、神官武将という意味である(笑)
この絵は信房の存在を世に知らしめることだけではなく、
追悼・鎮魂・供養の意図がある。


どうでも良いことだが、大神神二郎信房と織田三郎信長って、
イニシャルがOSNで全く同じである(笑)





㊲Jimmy Page(ジミー・ペイジ)
Jimmy Page.JPG

年齢設定:20代
時代:1970年代洋楽ロック〜現代
属性:イギリスのロックギタリスト・作曲家
用具:シャーペン・鉛筆
完成:2013年8月26日
モデル:本人



後輩リクエスト第二弾

高校の軽音部の後輩(現高3)であり、元バンドメンバーのギタリストから、
「先輩、描いて下さい!」と依頼があったのが当作品。
彼の尊敬しているギタリストの写真を私が絵画化している。
存命中の人物だし、普段の私の歴史人物絵画とは少し趣が違うが、
偉人といえば偉人でもあるし、また異人でもある(笑)


今回はLed Zeppelinのギタリスト、ジミー・ペイジである。
ギターをヴァイオリンの弓で弾くとんでもない人物である。
そんなにギターは上手くはないらしいが、センスは抜群らしい。
実は2年前にも後輩から依頼があり、
歴史人物絵画2でも紹介した通り、エディ・ヴァンヘイレンを描いた。


EVH-thumbnail2.JPG


前作は割と荒っぽい感じだったが、今作は繊細さを意識した。

Chrome of Jimmy Page.jpg


この写真を元にした。
ジミー・ペイジ.jpg


写真を模写するのは容易いが、元の写真の背景は黒だったので、
白にしていかに違和感が無いかを調整するのがコツだった。



色を反転させるとこんな感じ。
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サイズは四つ切りの画用紙で、やはり私の作品の中でも最大級だ。
机いっぱいを使って製作する。

黒い部分が多かったので、今回はシャーペンのみならず、
濃い鉛筆を駆使して描いた。鉛筆を使ったのは久々だ。


ギターを描く時にはモノサシが欠かせない。
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ギターはジミーが使っていたもの(右)を忠実に再現してある。
IMG_1510.JPG


ギブソンのレスポール。
Jimmy Page.JPG

TwitterなどのSNSでこの絵を公開したが、
今年の私の作品の中でも最も高評価だった。





㊳大神信房(おおみわ のぶふさ)
大神信房3.png

年齢設定:未設定(不明)
時代:鎌倉時代末期〜南北朝時代
属性:大神神社の神官、南朝側の武将
用具:シャーペン
完成:2014年10月17日
モデル:シン(北斗の拳)



誰も知らないイケメン武将

大神信房の肖像画の描き直しバージョン。
さすがに前作では適当すぎるので、今度ばかりは私の本領発揮といったところである。
烏帽子という姿には変わり無いが、これは武装している。
理想的なイメージかもしれないが信房は文武両道そう。
また、彼とすり替えられていた北畠顕家のイメージも移植されているのかもしれない。


信房の殿である北畠顕家。
250px-北畠顕家.png


胴丸の甲冑を付けているが、ウロコ柄の中華服のような狩衣だったり、
三国志の武将のようなマントを付けているようにもしてある。
このように時代考証はほとんど無視しているわけだが、
ほとんど史料が残っていない南北朝時代には比較的、自由な想像の余地があるかと。
ウロコ柄なのは、大神神社が蛇を信仰しているからである。

そして顔は、私の高校時代の友人(女子)に似ている(笑)
シンだけでなく北斗の拳顔の若い頃の阿部寛の顔なども参考にしたが、
イケメンにしすぎて女性に近くなったのだろう。
信房は全くの年齢不詳なので、何歳で死んだかは全く不明である。
絵のように青年だったかもしれないし、中年や老人だったかもしれない。





㊴三輪西阿(みわ さいあ)
大神勝房.png

年齢設定:未設定(不明)
時代:鎌倉時代末期〜南北朝時代
属性:大神神社の神主、南朝側・大和の武将
用具:シャーペン
完成:2014年11月3日
モデル:バルコム(北斗の拳)、ドウェイン・ジョンソン



ザ・豪快ファイター

信房の父の大神勝房(おおみわ かつふさ)である。
実はこの人のほうが、信房よりも史料に登場することが多く、
マイナー武将界ではまだまだ有名なほうである(笑)
彼は出家し三輪西阿と名乗ったが、この名のほうが知れているだろう。

大神神社の神主でありながら、奈良の戒重城を築城して北朝と徹底抗戦したとか。
いかにも勇猛果敢なタイプの武将なので、そのイメージで描いた。
大神神社の史料にも「西阿(勝房)甚だ強盛にして」と記録にある。
四条畷の戦いに楠木正行と参戦したらしい。
少なくとも信房よりかは長生きしているようである。


戒重(かいじゅう)城跡。
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なんで神主なのに、出家して坊さんになっているのか?という疑問が湧くが、
当時は神仏習合で神社とか寺の区別が曖昧で、出家神主は多くいた。
だが、何らかの仏教勢力と深い繋がりがあったことは否定できない。

モデルはシンの部下であるバルコムだが、現実に坊主頭でヒゲの豪傑といえば?
ということで、一瞬で思い浮かんだのがザ・ロックこと、
プロレスラーであり俳優のドウェイン・ジョンソンである。



バルコムとザ・ロック。
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彼は日本人ではないが、彼はサモア系と黒人のハーフなので、
そうアジア人から遠く離れてはいないので許容範囲である。

それに勝房は三輪西阿と名乗ったが、三輪・玉井・開住などと、
まるでリングネームのように様々な姓を名乗っている(笑)
勝房には3つのリングネームがあることになるが、
3つのリング…3つの輪…で三輪になる(笑)





㊵hide × 酒呑童子(ひで × しゅてんどうじ)
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年齢設定:33歳
時代:20世紀末(1990年代後半)・平安時代中期
属性:ミュージシャン・ギタリスト・妖怪・鬼
用具:ペイントソフト
完成:2014年12月13日
モデル:本人



元祖・ヴィジュアル系

私にとってhideとは歴史上の偉人でありながら、今も身近に生き続ける存在である。
1998年、私が2.3歳で物心のつく前に既にhideは亡くなっており、
存在を知ったのも数年前なので、事実としては完全に歴史上の人物だが、
今はしょっちゅうhideの曲を聴いたり歌ったりしているので、
一人の好きなアーティストとして生き続けている。

私が小学生の時にRIZEがカヴァーした「ピンクスパイダー」を聞いて、
いい曲だな〜と思いながらも口ずさんでいた。もちろん、hideの存在は知らない。
高校生になり、ヴィジュアル系が好きだったので、
必然的に元祖・ヴィジュアル系であるX JAPANのhideを知った。
それに、友人のバンドマンがXとhideが好きだったので更に興味を持った。


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その友人とは奇しくも今、同じ大学でバンドを組んでいるのだが、
よく頻繁にhideについて語り合っている。
高1からhideのベストアルバムを入手して曲を聞き出した。
特に『TELL ME』なんかを聞いては、hideから今のJ-POPやロックが始まった気もした。


高3の時に総裁から、hideの弟が書いた追憶記を頂いた。
その頃、高校で暴力を受けていた私はその本を読み、
hideの壮絶さに衝撃を受けて、私の苦境など大したことないな〜と思い、
とても元気が出て、気持ちも復活して、発想も自由になった。

そこから、hideのほぼ全曲を入手して現在に至る。
hideが元祖ヴィジュアル系というのは有名な話である。
21世紀ボーイの私がみても、hideのファッションは古臭さを全く感じさせない。



赤髪で大酒飲みの怪獣
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布袋寅泰はhideのことを「赤い髪のエイリアン」と称し、
hideの相方のI.N.A氏は「アイツは未来人だ」と言っており、
それほどハンパないほどの先見性があり、
hideが宇宙人か未来人であったほうが説明がつくほど(笑)

hideに関するエピソードでは酒豪伝説が多い。
本当は酒に弱かったらしいが、酔えば怪獣のような破天荒さだったという。
酔っては街で大暴れして、様々な人に迷惑をかけるほど酒癖が悪かったらしい(笑)



元祖・大暴れ鬼
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私が思うに「酒呑童子」こそ日本で最初の強豪な「鬼」だと考えている。
それまでの鬼は、姿そのものが目には見えない幽霊のような存在だったり、
女に化けていたりと、割と弱々しいイメージだったが、
この酒呑童子を以降に、鬼というのは強く恐ろしいイメージになった。
まさにオニ強い鬼こそ酒呑童子が元祖であるといえる。



赤髪で大酒飲みの妖怪
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酒呑童子といえば京都の大江山の伝説が有名だろう。
平安時代中期、大江山に住む酒呑童子の一党は都で暴れ回っていた。
酒呑童子の背は高く、赤髪で大酒飲みの鬼・妖怪で、人の肉を食べていたらしい。
一節には絶世の美少年だったとも言われている。
だが、源頼光、坂田公時、碓井貞光、卜部季武らに騙し討ちにされた。


陰陽座の酒呑童子が好きだ。光景が目に浮かぶ。




酒呑童子=hide説
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鬼の語源は、隠ぬ(おぬ)が転じたものである。
つまり鬼とは「隠れる」存在なのだ。
世間から存在を隠しながら生きるアウトサイダーの鬼。
鬼の正体は製鉄民である。大和朝廷から迫害され山に隠棲した原住民なのだ。
その実態は人間であり、妖怪として誇張され世に知れ渡った。


hideの名の由来は本名の松本秀人(まつもと ひでと)だが、
英語ではhide(ハイド)=「隠れる」という意味になる。
HIDE YOUR FACE(ハイド・ユア・フェイス)という1stアルバムを出している。
彼は元々、金属音楽(メタル)のバンドマン出身である。
X JAPANのギタリストであり、大ブレイクしてその才能が世に知れ渡った。


鬼の面のようなジャケットである。
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2011年、私はひらめいた。
hideは死んだのではなく、過去にタイムスリップして、
酒呑童子になったのではないかと(笑)
赤髪の大酒飲み、鉄の繋がり、隠れる存在、大暴れ。
それらの共通点から、着想を得たのが今回の絵なのだ(笑)

実際、hideに死んだと言う言葉は似合わない。
空に旅立って宇宙の暇人となったとか、酒呑童子になったとか、
そんな非現実的なことのほうが似合っている気がする。
今でもhideの声は聞けるし、その影響力は凄まじい。



2014年、hide復活

今年、hideは奇跡の新曲『子ギャル』で復活した。
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1998年にhideは他界したが、
最後のアルバム『Ja,Zoo』には、この子ギャルだけは収録できなかった。
なぜなら、演奏とラフなボーカルのメロディーは録れていたのだが、
肝心のhideの歌の本録りを前に、本人が他界してしまったのだ。
なので、アルバムはこの曲だけ収録されずに発売された。

しかし、近年になってボーカロイド技術が発展し、
hideの声を復元するプロジェクトが立ち上がった。
そうして完成したのが、この奇跡の新曲・子ギャル。





これはもはやボーカロイドの域を超えている。
それにhideよりhideっぽい。
息づかいや独特のクセまで再現している。
彼のようなクセの強い声を再現するのは難易度MAXのはずなのに、
よくやったものである。
これによりアルバムJa,Zooは16ぶりに完成となった。


このタイミング、私の生きる2014年と言う時代に、
hideの声が復活して、新曲が出てくれるということに歓喜である。
もう二度とhideの新曲に巡り会えることはないだろう。



奇跡の復活劇
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↓子ギャルの制作した人達のインタビュー。



↓hideの分身、パソコンロッカーことI.N.A氏(稲田師匠)のブログ。
この記事から次に進めば、様々な奇跡の逸話がわかる。



音楽の嗜好的には、私はあと20年早く生まれても良かったと思うことがあるが、
それはX JAPANやhideの最盛期を目撃できたからである。
そしたら確実にあのhideの葬式にも参列していただろう(笑)
参列者は5万人という大群勢で、日本史上最多らしい。
ちなみに、参列者数の2番目は本能寺の変で死んだ織田信長の葬式である(笑)


hideはイエス・キリストと同じ33歳で他界したが、
これにはイエスもビックリな復活劇だろう。
古代エジプトの神・オシリスは遺体を繋げて復活したが、
hideの復活作業にもこれに似ており、これまでの曲の声を合成して、
様々な調整をして、凄まじい尽力の結果の新曲なのだろう。

hideが生きた時代の後の世代に生まれた私であるが、
こうやってhideの新曲に巡り会えたことには、感極まる。



ヴィジュアル面での復活

さて、本題の絵の解説にはいろう。
hide×酒呑童子の絵の完成日、12月13日はhideの誕生日だ。
この子ギャルのリリース記念にも合わせたし、2014は生誕50周年である。

新曲が音楽・サウンド的な復活であるならば、
私はヴィジュアル面からのhideの復活を志したことになる。

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hide生誕50周年記念作品。
月を見ながら酒を飲み、琵琶ギターを弾こうとする酒呑童子、
全体的な雰囲気は90年代風のhideの写真集っぽくしてある。
色使いもhideっぽさと、90年代のカラーを意識してある。
制作は全てパソコンのペイントソフト。

鬼の名を冠する私にとって、
この二人の最強の鬼の融合による復活には、とても重要な意味がある。


モチーフは和装したときのhide。
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やはり酒呑童子っぽい。
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これをまんま再現して酒呑童子としても良かったが、
このタイプの衣装、小袖は平安時代にはまだ存在しなかった。
なので、全く一新して青い狩衣を秀呑童子に着せた。

まるで貴族のような装いだが、
鬼だからといって、野蛮なイメージにしたくはなかったからである。
バケモノだが、ただのモンスターではないことを強調したかった。
実際、酒呑童子は豪華な宮殿に住んでいたらしい。


一番凝ったのは顔である。
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hideのメイクや髪型はかなり個性的だが、顔は特に特徴がないのだ(笑)
なので、それを再現するのが難しく、これまでのhideを描いた絵で、
まともに顔が似ているものを見たことがなかった。
だからこそ、自分が描いてみたかったし、顔のソックリ具合は自身作である。
メイクも少し酒によっているからのような、赤みをメインに描いた。

髪にもなかなかの時間を費やし、
一番自然な形を試行錯誤しながら見いだした。
まるでhide自身が、暗闇に咲く一輪の赤い花のようになっている。


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色塗りに関しては、衣装は点々に塗った。
そうすることで、陰影と共に模様も同時に表現できるからである。
髪や肌などは普通に明暗を意識しながら塗った。



琵琶ギターにも仕掛けがある。
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ヘッド部分をよくみると、漢字で「秀」とある。
この琵琶は日本原産の琵琶ではなく、中国伝来の琵琶を再現した。
平安時代に日本オリジナルが生産されるまでは、全て輸入モノだった。


そしてボディーの部分はhideのギター、FERNANDES MG-Xの柄を再現している。
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hideがペイントしたらしいが、凄まじい芸術の才能である。
平安時代にタイムスリップしても古代のギターである琵琶を使って、
音楽を奏でていただろうと簡単に想像できる。



初期段階はこんな感じだった(笑)
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実はこの絵、今年の4月に制作を始めた。
5月2日のhideの命日に向けて描いていたが、間に合わなかったので諦めた(笑)
そしてしばらく寝かせておいた結果、誕生日に合わせて一気に完成させた。

寝かせておいてよかった。その感に構想を練っていた。
それにしても初期段階のはヒドい(笑)
↓比較(笑)


hide×酒呑童子(クローム).jpg



hideシンクロ!?

子ギャルが家に届いた翌日。
大学でhideの化身を目撃した(笑)


激写申し訳ないが、後ろ姿なので良しとしてほしい。
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正面から顔を見たが、なかなかのイケメンだった(笑)
しかも、服のカラーバランスが、ジャケットとよく似ているのだ(笑)

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そして、hide×酒呑童子の絵が完成した日、とある街に出かけていた。
総裁とhideの絵についてTwitterでやりとりをしながら歩いていると、
とある看板が目についた。


大阪狭山市のキャラクターがhideみたいだった(笑)
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総裁曰く、hideは龍神系の神懸かりらしいが、
ピンク色の髪の龍を目撃するとは、hideシンクロだ。
『ピンクスパイダー』のとおり、ピンクもhideの象徴色だ。

その後すぐ、


TELL MEというスナックのピンク色の看板を目撃した(笑)
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これはhideの『TELL ME』を意識しているのだろうか(笑)

この一連のシンクロは、天国からhideが、
ありがとよ」と言っているメッセージかもしれない。
そう思い込んでおこう(笑)



最後はこの曲でシメよう。



posted by 細川大将軍 at 23:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月21日

歴史人物絵画6 イメージとは真逆な戦国武将の素顔




今年も終盤にさしかかり、今年の歴史偉人絵画の総決算時となった。
実はこの前にも作品があるが、歴史時代的に同じものをまとめて発表する。


作成順こそ変動となったが先に、あの戦国武将たちを取り上げたいと思う。
戦国時代は自由競争社会だったので、資本主義社会に生きる現代人の多くが共感するのだろう。
私も戦国時代は、最も日本人が日本人らしい時代だったと思う。


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もちろん一番好きな時代は現代だが、
日本人の気質はただ単にお人好しなだけではなく、
勇猛果敢で狡猾なのも日本人の性質だと思う。
日本人といっても多民族なので、一概にその気質を表すことが出来ないが、
現代人が戦国武将に憧れる理由はある種、それを理想としているからではなかろうか。


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戦国武将はみな賢く優秀だった。
ある程度、賢くなければ死ぬし、アホだったらその人物評が歴史に残る。
実は現代人の多くの気質は、信長・秀吉・家康のタイプに大別できるのではなかろうか。
時代はその天下人の気質に反映され、時代の気質が天下人を創る。
私はどちらかというと秀吉タイプだが、あなたは誰のタイプに近いだろうか?





【本能寺の変 431年目の真実】
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これから紹介する絵画は、「本能寺の変は信長による家康暗殺計画だった!」とう仮説に基づく、
明智憲三郎氏の『本能寺の変 431年目の真実』をマンガ化したものである。
人物の肖像画はそこからピックアップしたものを掲載する。



武将たちの陰謀


@天正10年5月11日 安土城 密室。
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織田信長は天下統一を前に、四国攻めと中国大陸侵出を計画していた。
だがそれは、明智光秀を陥れ一族を滅亡に導くシナリオだった。

本能寺の変、20日前。危険人物・徳川家康討ちの密談が行われた。
信長は絶大な信頼を置く、光秀のみに計画を伝えた


織田弾正忠信長(48)
徳川を討て。本能寺茶会にて誘く。さすれば、東国平定は容易かろう。
(家康を倒せ。本能寺の茶会で誘き寄せる。そうしたら、家康のいる関東を奪えるからな。)

明智日向守光秀(67)
御意。亀山より馳せ参じまする。(是ぞ千載一遇の好機なり・・・)
(承知。京都の亀山城から本能寺にいきます。(これぞ絶好のチャンスだ・・・))



A天正10年5月14日〜17日 安土。
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本能寺の変 約17日前。家康歓迎の宴の後、光秀と家康が密談を行った。
斎藤利三と細川藤孝も同席。信長排除の利害が一致し、本能寺での謀反が決定。


徳川三河守家康(39)
明智殿、誠に感謝致す。伊賀を経て帰した後、甲信へ征き織田勢を駆逐せむ。
(明智さん、誠に感謝です。伊賀を経由して愛知に帰ってから、山梨と長野の織田軍を駆逐します。)

細川兵部大輔藤孝(48)
友の頼みとあらば。必ずや我らも加勢しよう…

光秀
唐入りなれば、我ら家臣団の危機。早暁、本能寺を囲む。
上様をお諌めする策は、是の他無し。
(中国大陸侵出が実現すれば、我々家臣団の危機です。夜明け前に本能寺を包囲します。
上様にご忠告する方法は、これ以外にはないのです。)



B天正10年6月2日 本能寺。
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本能寺の変。信長は家康に警戒されぬよう、側近のみ従えた。
だが明智の急襲になす術は無かった。
織田信長、下剋上に滅ぶ。

信長「余は、余自ら死を招いたな。



C天正10年6月3日 備中高松。
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本能寺の変、翌日。秀吉は細川氏と内通し密告から変を察知。毛利氏と和睦し京都へ向かった。


羽柴筑前守秀吉(45)
細川から報せは貰ろうた。あとは中国から引き返し、明智と戦るのみじゃ。
この事変を治め、天下を頂かにゃな。

(細川藤孝から情報は貰った。あとは中国地方から引き返して、明智と戦うだけだ。
この事変をまとめて、天下をとらねばならんな。)



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この説については、アメブロで詳しく解説している。
信長は自分で作った落とし穴にハマってしまったのだ(笑)
信長も光秀も家康も藤孝も秀吉も全員、裏切り者(笑)





登場する武将の名前は、昔のフルネームで苗字+官職名+諱になっている。
そしてセリフは少し難解だが、シンプルに単文でまとめてある。
この特色は、私の好きな『センゴク』(宮下英樹)という歴史マンガの影響をかなり受けている。


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武将たちの絵を描いて、それをスキャンで読み込んでパソコンに保存して、
コマやセリフやト書きなどは、パワーポイントで編集して作った。



信長の意図は、危険人物・徳川家康の本能寺での暗殺(家康が天下を狙っていることを見抜く)
光秀の意図は、信長の四国攻めと中国大陸侵出の阻止(長宗我部元親が親戚だから)
家康の意図は、生き残り。
藤孝の意図は、次の天下人についていくこと。
秀吉の意図は、次の天下人になること。





㉜織田弾正忠信長(おだ だんじょうのちゅう のぶなが)
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年齢設定:48歳
時代:室町・戦国時代末期〜安土桃山時代
属性:尾張の戦国大名・武将
用具:シャーペン
完成:2014年9月12日
モデル:ZERO閣下




やはりイケメンな信長

戦術に極めて老練」織田信長。
歴史人物絵画1で描いて以来、二度目の信長。
前作からは22年後の48歳の信長という設定。
この時から、わずか20日後に信長は本能寺の変で死ぬ事となる。

本能寺の変は信長による家康暗殺計画だった。
だから、わざと警備を手薄にして警戒されないようにしていた。
だがそこを明智光秀に突かれて、史実のようになった。
信長は「あやつ間違いなく天下を盗りよるわ」と思ったのだろう。
だから早々に家康を抹殺して、関東を手中に収めようとした。


今回はマンガ風のタッチである。
前作の様に写真を投影させて模写する技法は使用せず、
写真を見ながら模写する方法に切り替えている。
幾つかの絵画の制作により、自身の画力に一定の安定感がついたからである。



前作。桶狭間の戦い直前の信長。
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前作とはあまり変わらないが、前作をベースにしつつ老けさせている。
だが、信長は死の直前でも若々しいイメージがあるので、
そこまで老けさせてはいない。やはり信長はイケメンでなくては。

写真をそのまま写さないので自由度が上がった分、表情を工夫している。
まさに微笑みと野心を加えた「企み」の表情である。
また、絶大な信任をおく明智光秀との密会中という設定なので、
警戒心がなく、安心して光秀と話す信頼の表情も含む。


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やっぱり、信長はZERO閣下のイメージ。
大胆さと優しさを兼ね備えている人物である。
また、愛知と京都に縁があるという点でも共通しており、
世界征服を画策しているという野望も同じだ。


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ちなみに相違点を述べると、信長は酒があまり飲めなかったことだろうか。
しかも甘党。閣下は酒豪だった。下戸で甘党という特徴はヒトラーと同じである。

信長の魅力というのは、その生き様にワクワクし、
その勇姿に勇気を貰えることだろうか。



信長の肖像画といわれているものだが、現代人から見ても男前な顔立ちをしている。
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初期作品だが、下手なのでボツにした(笑)
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アバンギャルドな信長

衣装はこの肖像画(狩野永徳筆・大徳寺蔵)を元にしている。
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信長の三回忌の法要に向けて描かれた肖像画である。
あれ?全然、着物が違うじゃないか?



と思われるかもしれないが、実は裏面がこうなっているらしい。
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本当は左右比対称で派手な信長らしい衣装を着ている。
これを地味に描き直せたのが、法要を取り仕切った秀吉らしい。
秀吉は信長を地味な印象にさせ、自らを際立たせた。
いくら信長のことを尊敬していたとは言え、
新政権を建てた者が、前政権の支配者を悪評するのは歴史の通例である。



肖像画の裏地に残っていた本来の模様を再現した。
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これは肩衣(かたぎぬ)という服で、戦国時代の武士の公式な服だ。
しかも信長は、アシンメトリー(片身代わり)で緑と薄茶色という、
派手で豪快な肩衣を着ていた。大したファッションセンスである。
当時からみても、かなりアバンギャルド(前衛的)な衣装だっただろう。



しかもヒゲは上向きだったらしく、私はそれを再現した。
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常識人・信長

私が割と信長らしいと思う肖像画。
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私は信長のことを「最初の現代人」と呼んでいる。
発想が合理的で、現代人の我々からみても意外と常識的な考えを持つ人物なのだ。
信長は1から発想をした人ではなく、1×1を無限にしていった人だったと思う。
戦国時代だと非常識だったかもしれないが、現在の常識ではマトモな発想が多い。
エピソードは推挙しきれいない。




実は残虐じゃない信長

信長はよく残虐と評されるが、もしそうだったら戦国武将は皆、残虐である。
延暦寺の焼き討ち虐殺は存在せず、仏教勢力による信長へのネガティブ・キャンペーンか、
信長自身が世に示した威嚇・牽制をするための印象操作だったのかもしれない。

確かに、長島一向一揆の際に織田軍により何万人も虐殺されたが、
だからといって、信長個人が残虐な性格だということにはならない。
むしろ、残虐な処刑を行ったのは家臣の前田利家だったらしい。
また一向宗の事情を知れば、信長じゃなくても虐殺するほどのヒドさだったことがわかる。


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信長さんは優しい

それどころか実は信長は優しい。
当時の常識では考えられないぐらいに。信長は何度も裏切られているが、
むしろ優しすぎてナメられていたんじゃないかと思うぐらいである。
信長は冷酷なイメージがあるが、むしろかなり寛容な人物である。

通常なら、一回でも自分のことを裏切り命を狙った者なら処断するのが、
戦国武将にとっての常識のようなものだったが、
信長は何度、裏切られても許しているのだ。
具体的な回数で言えば、信長は二回裏切っても許してくれる。
部下のとんでもないミスも2回まで許している。


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弟の織田信行、足利義昭、松永久秀、荒木村重、浅井長政が、
信長のことを何度も裏切っているが、いずれも信長は許した。
その名の通り、信長は人を長く信じる性格だったのだろう。
だからこそ人を最後まで信じたかったし、出来れば疑いたくない。
その信長の優しさで本能寺の変を誘発してしまったのも事実だが…

きっと信長なら光秀の謀反を許しているだろう。
仮に本能寺の変で死んでいなくても、光秀を許して再び重臣として登用しただろう。




意外に和風な信長

信長は西洋甲冑や洋服を着ていたイメージがあるが、それはまずない。
そもそも信長の南蛮かぶれのイメージは、黒澤明の映画『影武者』が最初である。
信長の時代は、あまり海外モノが入って来ていなかった。
むしろ秀吉はスリッパを常用していて、家康は鉛筆を使っていた。



黒澤明の影武者から信長=洋装のイメージが蔓延した。
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信長のシェフに至ってはブーツを履いている(笑)
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甲冑研究家のさえもん氏の描いた信長の軍装想像図。
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下手な西洋甲冑よりも、こっちの方がカッコ良いと思う。
総見院蔵の兜鉢に黒鳥毛陣羽織、紅糸縅壺袖を着用しているらしい。
安土桃山時代のファッションリーダーに相応しい。



馬揃え(ファッションショー&パレード)の時の信長の装束。
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銅像でいえば、清洲城にある信長像が顔といい甲冑といい、
最も私のイメージする信長に近い。

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信長の野望 世界征服版

もし信長が本能寺の変で死なずに長生きしていたら?
私が推測するに、信長は世界戦争を起こしていただろう。
中国を始めとするアジアを統治下に置く。その後は更に西に進出しただろう。

おそらく、プレスター・ジョン伝説を宣教師から聞いて知っていたので、
信長は「我こそはプレスター・ジョンなり!」と言って、
聖地エルサレムを奪還するために、イスラーム国であるオスマン帝国と戦い、
西洋諸国にとっての救世主=キリストとなるべく活躍していたと思う。
恐ろしくぶっ飛んだ話だが(笑)


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信長の南北朝統一計画

信長は朝廷を見下していたのは事実だが、滅ぼすつもりまではなかった。
結果的に信長は朝廷にも殺されているのだが、信長は朝廷との共存を画策していた。
一体、信長は朝廷をどうしたかったのか?
これは完全に私の仮説なのだが、それは「南北朝迭立」だろう。

話は南北朝時代から室町時代にまで遡るが、南北朝の分裂から和解に向けて、
足利義満により「南北朝合一」と「両統迭立 」がなされた。
だがこれは北朝有利の協定であり、南朝側は没落していった。


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事実、信長は南朝側の出身であったといわれている。
息子に北畠や神戸といった南朝側の一族の名を名乗らせている。
信長は南朝の復権を狙っていたのだ。
だから、北朝である当時の正親町天皇から官位を授からなかったり、
自身が天主から見下ろす形で、天皇を安土へ招く計画をたてたりした。

だが、信長は北朝を滅ぼすつもりはなく、
折衷的に真の南北朝合一、両統迭立 を考えていたのだ。
歴史区分にとらわれず、長い目で日本史を見つめた結果、生まれた仮説だ。




昔のフルネームは長い

「織田弾正忠信長」と今回は名前がやたら無いが、これが昔のフルネームである。
苗字+官職名+諱という感じ。昔の呼び名はほとんど、官職名で呼ばれることが多い。
例えば、信長なら「弾正忠殿!」といった感じが多く、
諱、つまり下の名前で「信長殿!」というのは失礼にあたる。これを避諱という。
織田殿でもアリだが、やはり個人名は官職名で呼ばれることが多かった。

ちなみに弾正忠とは、今で言うと警視総監みたいな感じである。
だが戦国時代の官職とは、ただの箔で実質的意味はほとんどなかった。


信長についても書いたアメブロの記事『戦国と火の魔王』を参照。




信長の脳診断

うさうさ脳タイプの診断』という脳診断のサイトがある。
人間の脳を4パターンに分析しており、かなり信頼をおける診断である。
ここに登場する武将は、どのタイプに当てはまるかを検証してみたいと思う。


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信長は、ささ男(インプット=左脳、アウトプット=左脳)だろう。
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情報の収集や分析を熱心に行ない、情報の穴による間違いを恐れる」や、
理想は高く常に完成型を求める」、と言ったところが、
信長の性格と共通している気がするからである。
まさに合理主義者な経営者タイプか。

また「人の感情を読み取るのが苦手」「融通のきかないタイプにみられることも」というのも。
もし信長が現代に生きていたら?
ブラック企業の社長…いや、外資系企業のトップになっていただろう。


また信長の血液型はA型と推測されている。確かに、性格的にそんな気がする。
ちなみにヒトラーもA型で、独裁者にはA型が多いらしい。





㉝明智日向守光秀(あけち ひゅうがのかみ みつひで)
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年齢設定:67歳
時代:室町・戦国時代末期〜安土桃山時代
属性:戦国大名・武将
用具:シャーペン
完成:2014年9月12日
モデル:本人




最強の戦略家・明智光秀

策謀の達人」明智光秀。
光秀と信長は似た者同士だったと思う。
よく信長と気質が会わなかったのが本能寺の変の遠縁といわれるが、
光秀は情緒的な人というよりも、信長並みの合理主義者だった。
だからこそ、信長が最も信頼していたのは光秀だった。
もちろん実際はイジメなんてなかった。だが、その光秀に裏切られた。

本能寺の変の黒幕は光秀だけではない。
実行したのが光秀なだけで、その動機も決して個人的なものではない。
信長は四国攻めで長宗我部元親を倒す計画があったが、
光秀と元親は親戚だったので、必然的にそれは明智氏(土岐氏)の滅亡を意味した。
本能寺の変により、四国攻めは阻止される。


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ワシは信長様より、一族を愛する」と思ったのだろうか。
光秀は軍事・政治・経済など全てにおいて優れていた武将だった。
とんでもなく優秀な人物で、光秀の軍の強さは織田家臣の中で随一だった。
策謀の達人といわれているが、それは戦国武将としては褒め言葉だ。

私は光秀の気持ちがわかる気がする。
上司への忠誠心や期待が強すぎるとある日、それが一変して反転し、
怨恨や反逆心に変わってしまうこともある。




冴えてる老将・明智光秀

光秀においては特に顔のモデルはいない。
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意外かもしれないが本能寺の変の当時、光秀は67歳の老人だった。
50代説もあるが、戦国時代は元気なじいちゃん武将が多かったので不思議は無い。
老人になった光秀も頭はキレッキッレで、信長から多大な期待を集めていた。

基本的に肖像画の顔を老けさせて描いたが、老人の顔は描きなれていなかったので、
本能寺の変 431年目の真実の著者であり、光秀の子孫の明智憲三郎氏の顔を少し参考とした。


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顔の骨格は比較的、若い頃の光秀の肖像画(補正版)を元にしている。
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光秀は頭蓋骨が大きく、額は広い。
衣装はこの肖像画と同じ模様の素襖を意識している。




珍しいヒゲ無し武将

不思議なことなのだが、この肖像画をみる限り光秀は、
戦国武将としては珍しくヒゲが生えていない。



元の肖像画をみてもヒゲの形跡がない。
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当時はヒゲ=男のシンボルぐらいのもので、大体の戦国武将は生やしていた。
江戸時代に描かれた、若年の頃を描いた、出家した後に描かれたもの以外なら、
通常、ヒゲは確認できるが光秀はヒゲが薄かったのか。
それとも肖像画がボロボロなので確認できないだけか。
だが私の絵では一応、ヒゲは薄く描いておいた。


ちなみに、他の戦国武将では竹中重治(半兵衛)、池田恒興、島津義久、細川忠興、
小早川秀秋、豊臣秀頼などが肖像画でヒゲが確認でできない。
だが、秀秋や秀頼は20歳前後で死んでいるのでヒゲがなくてもおかしくない。
19歳の私でも、体質的にヒゲらしいヒゲが生えて来てない。




天海=明智

明智光秀=天海説という有名な話がある。
天海というのは徳川家康の側近になった謎の人物だが、その正体が光秀という。
光秀は山崎の戦いで秀吉に殺されずに生き延びて、徳川幕府に貢献したらしい。
私はこの説を支持しているし、明智憲三郎氏の説に基づいても説明可能である。
なぜなら、家康は光秀に恩があるので身辺保護したと考えられるからである。

本能寺の変の時点で光秀が67歳だとしたら年齢的に厳しい気もするが、
光秀本人ではなくても、光秀の息子か弟が天海を受け継いだ可能性もある。
天海=明智家の人間だったことは十分にありえる。




光秀の脳診断

光秀も信長と同じく、ささ男(インプット=左脳、アウトプット=左脳)だろう。
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㉞徳川三河守家康(とくがわ みかわのかみ いえやす)
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年齢設定:39歳
時代:室町・戦国時代末期〜安土桃山時代
属性:三河の戦国大名・武将・征夷大将軍
用具:シャーペン
完成:2013年9月20日
モデル:中尾彬




デンジャラス家康

危険人物」徳川家康。
信長、秀吉、家康。この三英傑の中で最もスゴかったのは、やはり家康だろう。
最終的に天下をとって、300年の徳川政権の礎を築いたというのもあるが、
もはや家康は戦国武将の域を超えて、超人的な政治家となった。
それだけに危険人物だったのだろう。

事実、家康は秀吉の死後には豊臣家を滅ぼしている。
信長と家康は仲が良さそうなイメージがあるが、
双方の父や祖父の代では、血みどろの戦いを繰り広げていた。
信長は以外と親バカで、やはり自分の跡は息子達に継がせたかった。
だから家康の台頭を許す訳にはいかなかったのだろう。


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実は幼少期に、尾張の大うつけ(愛知一のヤンキー)の悪ガキ・信長に、
人質時代のオタク・家康はイジめられていたというエピソードも残っている(笑)
家康は水が怖かったが、信長に頭から川に突き落とされたらしい(笑)
そう考えると本能寺の変はこの頃の因果応報だとも言える(笑)

もしも信長が、メジャーデビュー戦である桶狭間の戦いで負けて死に、
今川義元が天下をとって駿河幕府が開幕していたとしよう。
それでも家康は義元の重臣として活躍しながらも、
最終的にはアノ手コノ手を使って、家康が天下をとっていただろう。
歴史好きなら、そう容易く推測ができる程の人物が家康なのだ。




表情豊かな家康
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この家康はなんだか悲しそうな顔をしている。
だがこれも、家康の計算のうちという裏設定。
明智に救われたことで、怯えと安堵の表情を両方みせている。
このようにわざと感情を露にすることで、相手を安心させる。

だが家康は、本気で運が良かったと思っただろう。
家康のことだから、信長に殺されそうなことは気付いていたが、
まさか光秀から、救いの手を差し伸べられるとは思ってもいなかっただろう。
家康は「この果報と恩を無下にするわけにはいかぬ」と言って、
謀反を決心したのだろう。


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実は家康は元々、短気な性格だった。
無感情そうなイメージがあるが、激情型の性格だった。
だからこそ、家康は忍耐強さと気長さを身につけた。
急がば回れで、コツコツと詰めていく形で最終的に天下をとった。

家康はかなり無口だったらしい。
軽度の吃音症という説もあり、普段から寡黙だったのだろう。
だからこそ、心中を悟られないような威厳があったのかもしれない。
だが、狡猾で言葉巧みなタヌキというイメージ通り、
口数こそは少なかったが、口はそこそこ上手かったのだろう。


また本来ならば、礼儀的に烏帽子は被るものだが、
頭頂を晒している家康の絵は少ないので、あえてである。
頭を晒す=本性を晒すという裏設定も含んでおり、
織田をぶっ潰して、長野と山梨を奪い取る気満々の家康である(笑)



左が29歳の家康。見るからに危険そうな顔をしている(笑)右が晩年の家康。
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明らかに若い頃の家康の方がヒゲは長いが、これは時代の流行だろうか。
アゴヒゲに関しては晩年、ほぼ無くなっている。
今回の私の肖像画は39歳の家康なので、
この二つの肖像画の間をとったぐらいのヒゲの長さにしてある。




ネジネジ武将!?

前作の藤木直人がモデルの29歳の家康。
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今作はそれから10年後の家康だが、
色々あったのか、少し太っている(笑)



晩年の家康の顔は、中尾彬に似ている。
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何かのイベントで家康のコスプレをする中尾彬。これは似すぎだ(笑)
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直衣にネジネジを合わせるという、奇抜なファッションを展開(笑)
前回の29歳の家康のモデルはイケメン・藤木直人を起用したが、
中尾彬も若い頃は爽やか系イケメンだった(笑)



小出恵介っぽい。
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今回、家康のモデルにしたのは33歳の時の中尾彬。
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この光と影の加減が、家康の裏表のある表情を出せるからである。




意外に洋風な家康

この西洋甲冑(南蛮具足)は誰のものかお分かりだろうか?
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一般的なイメージからすると信長っぽい。だがこれは家康のものだ。
先述の通り、信長の時代には海外モノがあまり入って来ておらず、
武将が西洋甲冑を用いるようになったのは、むしろ信長以後である。
家康は質素で純和風なイメージがあるが、
実は新しいモノ好きで、海外モノを多く取り入れていた。



それに家康は鉛筆を用いただけでなく、なんとメガネをかけていた。
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家康は日本初のメガネ男子だったのだ。



イメージ(笑)
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家康の海外戦略

徳川幕府というと鎖国のイメージがあるが、
鎖国が始まったのは家康の息子の徳川秀忠の時代からで、
むしろ家康の時代は、活発に海外との貿易を行なっていた。
家康は内向的ではなく、信長よりも外向的だったのだ。

信長は黒人の弥助をボディーガードとしていたが、
家康はイギリス人のウィリアム・アダムスを外向顧問として側近においた。
しかも三浦按針という名前をつけて、武士にするぐらい気に入ったそうだ。


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アダムスはリーフデ号という船に乗ってやって来たが、
そこにあったプレートアーマーを南蛮具足に改造して自らや重臣らが使ったり、
積まれていた大砲は、関ヶ原の戦いで大活躍したそうだ。

家康はエリザベス女王と仲が良かったので、
大砲を提供して貰っていたという説もあるぐらいだ。


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家康はメキシコに使者を送ったり、伊達政宗のスペイン使節を許可したりした。
それだけでなく、家康がタイに送った山田長政という人物は、
日本人傭兵、日本人町の頭領、王朝の高級貴族にまでなった。
更にタイのとある地方の王様のような立場にもなったという。
事実上、日本の徳川の回し者がタイを仕切っていたようなものだ(笑)


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家康の脳診断

家康は、さう男(インプット=左脳、アウトプット=右脳)だと思う。
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ドライで柔軟なあやつり師、まさに天下を操った家康に相応しい。
納得しやすい解決策を導き出すことで、
人に意見を求められることが多く、一目置かれる存在
ある意味小心者」、「オタクの素質も備えている
というところが家康と当てはまる。





㉟細川兵部大輔藤孝(ほそかわ ひょうぶのたいふ ふじたか)
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年齢設定:48歳
時代:室町・戦国時代末期〜安土桃山時代
属性:戦国大名・武将・歌人
用具:シャーペン
完成:2013年9月20日
モデル:細川護煕




細川流処世術

天下人を見極める」細川藤孝。
細川幽斎の名の方が有名だろうか。
信長、秀吉、家康が天下をとることを予測し、この面々に巧みに寄り添っては、
いずれも気に入られて、常に堅実な立場を貫いている。
かなり優秀な人物でもあったし、ハンパなく世渡り上手だ。

だが、本能寺の変に関しては、
信長を見限り、友である光秀も見限っているので、
ある意味、本能寺の変の一番の裏切り者であるとも言える(笑)
藤孝は「信長様や光秀には申し訳ないが、我が道をゆかせてもらう
と言ったのだろうか。


どうも細川家の人間は、次の天下人を見極めて、
その天下人を支えることで出世し、うまくいくパターンが多い様に思う。
ちなみに私の家系と、細川藤孝はほぼ無関係と言って良い。
足利義満を支えて、室町幕府No.2にまでなった細川頼之も同じである。
逆に細川政元のように、自ら天下人になれば破滅型になる(笑)



そして、藤孝の子孫で天下人(総理大臣)になり破滅した人物がいる(笑)
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この細川護煕、細川藤孝と顔がソックリなのだ(笑)
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特に目と鼻なんか同じじゃないか。血の繋がりをリアルに感じる。
両者とも芸術家タイプであり、超文化人である。



『へうげもの」というマンガでも、藤孝の顔はモロに護煕である(笑)
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細川護煕に関して面白いジョークがある。
細川家には、昔はもっと良い宝物があったんですが、
戦争でかなり焼けてしまったんですよ。
いやいや太平洋戦争の時ではなく、応仁の乱の時ですがね
私もこんなことを言ってみたい(笑)



私の絵も本人&細川護煕の顔をモデルにした。
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もちろん出家前なので、ヒゲは生やしていたと思うが、
似合いそうになかったのでやめておいた(笑)
文武両道な藤孝だが、やはり武将というより文化人のイメージだ。



映画『利休』にカメオ出演し、なぜか織田有楽斎を演じる殿様(右)
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藤孝はこんな感じだったかもしれない。


藤孝の脳診断
…不明(笑)





㊱羽柴筑前守秀吉(はしば ちくぜんのかみ ひでよし)
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年齢設定:45歳
時代:室町・戦国時代末期〜安土桃山時代
属性:尾張の戦国大名・武将
用具:シャーペン
完成:2013年9月25日
モデル:田村淳




ハイパーメディアクリエイター・秀吉

全ての情報を把握・操作」羽柴秀吉。
この説に基づけば、秀吉は黒幕的な存在として語られている。
私も今回の秀吉は、暗闇から目を光らす秀吉のイメージにした。

秀吉の情報操作力はハンパない。未だに日本中が騙されているほどだ。
天下をとった後、軍紀物などでウソの情報を日本中に流した。
それは光秀が、個人的な恨みで謀反を起こしたという過小評価や、
信長が残虐な人物なので、討たれても仕方がなかったという悪評である。

だが秀吉の判断は、統治者として正解である。結果、事変の混乱を見事に丸く治めている。
ある意味、秀吉は信長への謀反を見て見ぬ振りをしていた訳だが、
藤孝や家康にこのことは黙っておくとして匿い、それぞれの顔を立てている。


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秀吉は最強の調整役だろう。
細川家からの情報提供により、秀吉は迅速に中国地方から京都に進軍し、
明智と戦い勝利した。後に中国大返しと山崎の戦いとして歴史に残る。
秀吉は「混乱期は皆、心のどこかで騙されたいと思っとるんじゃ」と言ったのだろうか。




愛すべき天下人

また統治者が前の統治者を悪評するのは、歴史のお決まりパターンである。
そうしないと自らの正当性が揺らぐからである。
事実、秀吉は信長のことを尊敬していた。秀吉の政策もほとんど信長の受け売りである。
秀吉は常に「信長様じゃったら、ここはどうするかのぉ?」と自問自答していたと思う。

秀吉は織田政権を奪い取っているわけだが、
歴史をみてもやはり、信長の息子より秀吉の方が天下人に相応しかったのだろう。


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今回の秀吉像は前作を画像加工しただけだが、色を反転させて印象を一変させている。

私が一貫して秀吉ファンなのは大阪人だということもある。
幼少期から最も好きな三英傑は秀吉だった。
何か親近感が湧くというのもある。閣下が信長なら、私は秀吉である(笑)

晩年の秀吉はよく耄碌したり暴君になったと評されているが、
客観的に見ても私はそれはないと考えている。常に判断力はあったと思われる。
なぜならば徳川幕府により秀吉の死後にネガティブ・キャンペーンが行なわれたからだ。
だから、大河ドラマで秀吉が暴君として描かれると悲しくなる(笑)


そして私の絵の秀吉のモデルは、同じく私がファンの田村淳。
秀吉と淳はかなり共通点が多く、前回もそれを列挙した。


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だが2013年9月以降、あらたな共通項が加わった。
それは「妻が人格者」ということである。
それまで結婚はしないと言っていた淳が結婚してかなり衝撃を受けたが、
その奥さんがかなりのいい妻のようで、人格者と評されている。

また秀吉の正妻である、おね(高台院)も、
大変な人格者で、彼女に頼めば解決できないことはない」と評されている。



こぶごぶ。
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秀吉の脳診断

秀吉は、うさ男(インプット=右脳、アウトプット=左脳)だろう。


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一旦ココロを許せばとことん面倒見がいい」は、秀吉の人を活かす度量の大きさを表し、
無礼なふるまいをする相手には嫌悪感を示してやりこめたり、一度嫌ってしまったら絶縁
というのは、古参の部下でも度が過ぎる失敗をすれば、
構わず処断するという秀吉の厳しさを示す。

好奇心旺盛で、あれこれ夢見るロマンチスト。いろんなことにチャレンジするのが好き
場の空気をつかむのが早く、盛り上げや会話もスムーズにこなす
これもまさに秀吉のイメージと一致する。


また血判状から秀吉の血液型はO型だったことが判明している。
実際の性格からもまさにO型的性格であることがわかる。




うさ男は天邪鬼!?

実は私が田村淳を観察した結果、彼もうさ脳であることがわかった。


手を組めば右の親指が下になるので、右脳インプット。
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腕を組めば左腕が下になるので、左脳アウトプット。
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しかも淳はO型である(笑)
やはり、性格に共通点が多いと思っていたがそういうことなのか。

実は私も、正真正銘うさ脳のO型である(笑)
脳診断の性格でもほぼ完全に一致していると言っても良い。
私は一度、心を許したやつとはとことんベタベタするぐらい仲が良いし、
逆に少しでも無礼な態度を見せると友人であっても平然と絶交する。
あえてKYなこともするが、それは空気を読むのが得意だからである。


秀吉、淳、私に共通する性格は、ズバリ「天邪鬼」である。
秀吉は人と同じに振る舞うことを嫌う傾奇者だったらしい。
コスプレ茶会などを開いて、まず人がやらないことをやった。
淳もよく自身の性格を天邪鬼と言っており、
欲しがる人には与えず、欲しがらない人に与えたくなるらしい(笑)

私は周りがマジメならふざけるし、周りが不真面目ならマジメにやる(笑)
常に「お前らとは違うんや」という意識を持ちながら生きてる気がする(笑)
やはり同じタイプの人間なので、秀吉と淳には共感できるのだろう。




ネズミ顔の秀吉

これは羽柴時代の秀吉と伝えられる肖像画(京都府光福寺蔵)である。
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だが、私はこれは秀吉ではないと思う。
秀吉は付け髭をしていたぐらいヒゲが薄かったらしいが、
この肖像画の男はどう見てもヒゲが濃い。それに明らかに秀吉と顔が違う。
秀吉はネズミ(実はサルではない)と呼ばれていたが、この絵の男はゴリラみたいだ。
これまで秀吉を3回演じて来た竹中直人に似てる気がする。



よく知られている肖像画はヒゲが薄く、まさにネズミの風貌だ。
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淳が歳をとったら秀吉みたいな顔になりそう。
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戦国武将ソックリ芸人

ちなみに秀吉の家臣である、黒田孝高(官兵衛)と松本人志は似ている(笑)
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これはシンクロ率高すぎである(笑)



松っちゃんは黒田官兵衛が大好きなことで有名。
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松っちゃんには是非、自分の映画で官兵衛役を演じてほしいものだ。



そしてその息子、黒田長政とメッセンジャー黒田も似ている(笑)
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ちなみに官兵衛=「カンベエ」というが、実際は「カンピョウエ」だった。
そもそも兵衛をベエと読むようになったのは江戸中期からで、
当時は兵衛はヒョウエ、ビョウエ、ピョウエと読むのが普通だった。
官兵衛は秀吉から、カンピョーと呼ばれていたらしい。
彼はキリシタンだったので、ローマ字で自分の名を「kwanbyoue」と表している。

おそらく彼の師匠である竹中半兵衛も、ハンビョウエと発音したのだろう。
ちなみに、官兵衛と半兵衛は秀吉の軍師だったと言われているが、
戦国時代に「軍師」はおらず、二人とも軍師と言われたことは一度もなかった。
軍師というのは自らは戦わない文官であり、大将に助言する専門職であった。
いわば「戦略アドバイザー」である。古代中国の諸葛孔明なんかそうだ。
だが、官兵衛も半兵衛もれっきとした戦国武将である。


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二人が軍師と呼ばれたのは江戸時代からで、
彼らは軍師ではなく、策略に長けた秀吉のいち重臣の戦国武将である。
戦国武将は専門職ではなく、戦争・政治・文化を行なう何でも屋である。

また、秀吉は天下をとってからは、官兵衛に世話になったにも関わらず、
官兵衛のズバ抜けた頭の良さを警戒して、冷遇したという話をよくきく。
だが、実際の官兵衛は極めて説教好きな性格で、
秀吉にもことあるごとにキリスト教の話をしたそうである(笑)
キリスト教を警戒し禁教令を出した秀吉にとっては、ウザいに決まっている(笑)
官兵衛がキリシタンだったからこそ、秀吉に警戒されたのだ。




三英傑の個性

信長、秀吉、家康。三英傑の身長もわかっているらしい。
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まさしくイメージ通りで、こんな感じの身長差だったのだろう。
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それぞれの子ども(実子)数は、
信長→24人、秀吉→4人、家康→16人。

好きな女のタイプは、
信長→子どもが生める女性、秀吉→美女でお嬢様、家康→出産経験のある女性。


このことから信長は精力絶倫と言えるだろう(笑)
秀吉は女好きで淫乱だったのは事実だが、子どもが出来にくい体質だったよう。
家康は堅実な方法で子どもが産める女性を選んでいた訳だが、
70代の頃に16歳の側室を迎えたらしい(笑)
それに家康は腹上死したという説すらある(笑)





漫画「センゴク」実写化キャスト予想


私が今、本気で揃えたいと思っている『センゴク』の実写化をイメージしてみた。
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仙石権兵衛 / 窪田正孝
織田信長 / 豊川悦司
羽柴秀吉 / 田村淳
竹中半兵衛 / 早乙女太一
明智光秀 / GACKT
徳川家康 / 鈴木亮平


ここでも秀吉は淳だ(笑)
顔が似ているキャストを選んだことはもちろん、
センゴク光秀は、残忍だが魅力的な個性的なキャラクターで、
それを気持ち悪くならずに演じれるのはGACKTしかいないと思ったからである。
豊川悦司は既に大河で信長を演じている。


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作者の宮下英樹氏の偉大なる創意工夫と、絶妙なさじ加減が光る作品で、
センゴク、センゴク天正記、センゴク一統記。今年で連載10年を迎える歴史漫画である。
最も史実に忠実な戦国漫画であるのだが、通説に疑問が残る場合は、新たな新説も描いている。
ある意味、史実より正しい漫画かもしれない。
しかも登場する武将達が、史実および私のイメージと完全に一致しているのだ。

仙石秀久(権兵衛)という、1000石の領地をもつ戦国武将が主人公である(笑)
正直、実写化は不可能なぐらいに迫力のある漫画だが、
部屋にスペースがあるならば、全巻集めたい(笑)


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ということで戦国時代編はここまでだが、
まだまだ歴史人物絵画はあるので、執筆を進めることとする。
posted by 細川大将軍 at 23:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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